球児が打たれて、幕が下りる。
すごい結末ですね。

88年10月19日、川崎球場ダブルヘッダー。
01年9月26日、北川の代打逆転サヨナラ満塁優勝ホームラン。
かつて「彼らが優勝にからむとき、何かが起こる」と言われた劇場型チームが大阪近鉄バファローズでしたが、その遺伝子を大阪ドームで受け継いでしまったか?

「阪神タイガースが優勝にからむとき、何かが起こる」
それも、自身にとってはあまり芳しくないカタチで。

73年の甲子園優勝決定戦、敗北。
85年のバックスクリーン3連発、吉田祝祭野球で日本一。
92年の八木さん幻のホームラン
03年の日本シリーズ、本拠地のチームが全て勝ちV逸
05年の日本シリーズ、まさかの濃霧コールド、まさかの4連敗


そして08年ペナントレース+クライマックスでの壮絶な散りざま。


いつの間にか悲壮感あふれる立派な劇場型チームになっていました。

「どんでん」こと岡田監督は、松竹新喜劇を率いた藤山寛美さんに顔面が似ていたわけで。
それにあやかってかチームはどこか泥臭く、喜劇的であったし、悲劇的であったし、笑いあり涙ありのドタバタ劇場でした。

5年間楽しませていただきました。
ストレスをためる日々もあれど、振り返れば全部いい思い出だったかなぁなんて、心から思います。

来期からタイガース劇場の座長はずいぶんなイケメンさんになられるようで。
ところが…
2000年に大阪近鉄バファローズの打撃コーチに就任、2002年にヘッドコーチとなる。同年8月16日の対西武戦(西武ドーム)では出場停止の梨田昌孝に代わって監督代行を務めたが、2回途中で西武先発の松坂大輔をノックアウトし、この回の終了時点で近鉄が9-0とリードしていたものの、近鉄先発のジェレミー・パウエルが突然崩れ、4回終了時点で9-10と逆転を許す。7回表に吉岡雄二が同点本塁打を放つものの、その裏に松井稼頭央の2点本塁打で勝ち越され、そのまま10-12で敗れた。9点以上の差を逆転されての敗戦は史上7度目のことであった。
(ウィキペディア「真弓明信」より)

ちゃーんと近鉄バファローズの遺伝子は持っているんだなぁ。
関西球団ならではの人情芝居はまだまだ続くでしょう。

喜劇の結末はハッピーエンド。
歓声は鳴り止まない。
あきらめない限り、夢は終わらない。

岡田監督、おつかれさまでした。