カネシゲは無事です。
一家全員、大丈夫です。

ずいぶん揺れましたが、うちは特別横長なマンションでして。
構造上おそらく揺れには強く、ちょっとした物の落下程度の被害ですみました。

震度5の揺れの中、ずっと布団の上でじっとしていた我が家の老猫は車に乗せたら鳴きやみませんでした。それはいつもの事ですが。

僕の住んでいる町田市は停電。
地震直後からの停電で、復旧したのはその日の23時ごろ。
携帯も使えない真っ暗な家の中を出て、車中で時間を過ごしました。
街も当然真っ暗。
真っ暗な中を歩く人たちのために駐車場から道路に向けてランプを点灯させましたが、焼け石に水でした。



車のおかげで、テレビで情報を得たり、暖をとったり、iPhone の充電をすることができましたが、それがなければ満足な準備もない家の中にいなければなかったわけで、それはより不安だったことでしょう。

また電話やメールは満足に通じなくとも、Twitterによって数多くの人々の声、そして情報を得ることができ、ずいぶん落ち着きました。ありがたいことです。幸せなことです

命があることは、ありがたいことです。

※ ※ ※

もう思いつくままに書きますが。

被災された皆様、なくなった皆様、お見舞い申し上げますなんて他人行儀な言葉ではなく、なんて声をかけようかと、そんなことを考えながら、自分には何ができるのか、どうすればいいのか。
頭の中が錯綜しています。
きっと僕だけではなく、日本中の多くの人がそうに違いありません。

東京では余震もあり、原発のこともあり、まだ不安のなかで気を抜くことなく生活する必要がありますが。
休めるときにはしっかりと休み、働くときにはしっかりと働き、笑えるときにはしっかりと笑い、ときには歌も歌う。

可能な限りしっかりと日常を生きます。
東京という経済的にも恵まれた「最強のベンチ」にいる我々が沈んだって、いいことはなにもありません。
東北が立ち上がるとき、しっかりとサポートができるように。
我々はなるべく健康であるように。
それがなにより大事です。

なによりも、自分を一番大切にしてください。
それがレスキューの基本です。


阪神大震災のとき、僕は20歳に満たない大学生でした。
いまは経済的にも自立をした家庭を持つひとりの大人です。
漫画家なんて一風かわった肩書きもありますが、ただただひとりの社会人です。

自分になにができるのか。
自分にしかできないことがあるとすれば、それはいったいなにか。

しっかりと休みながら、しっかりと準備をしながら、しっかりと仕事をしながら、時間をかけて考えたいと思います。